リメイク版『サスペリア』と「邪悪」なフェミニズム

ルカ・グァダニーノによるリメイク版『サスペリア』観てきたんですが、「監督はフェミニズム運動をリスペクトして作ったと言ってるが……」という前評判を聞きリベラルぶって内実全くリベラルではないおじさんあるあるみたいな感じかな〜と思っていたらそんなことはまるでなく、超ド球ストレートのフェミニズム運動への憎悪/ありえないくらい「邪悪」なフェミニズムが描かれてて一周回って感動しちゃった。という話。
オリジナル版観てないし、ドイツ史には疎いので本当に個人的な感想です。

 

※以下、完璧なネタバレです。

 

 

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グァダニーノ版『サスペリア』はフェミニズム運動をリスペクトして作った、と監督自身が語っており、いくつかフェミニズム映画として受け止めている批評もヒットする映画です*1
が、正直わたしはまるで真逆の感想を抱きました。

 

個人的に、サスペリア』に描かれているのは、フェミニズム運動がいかに邪悪で呪わしいものかということに他ならないと思います。むしろ人々がどうやってあそこにフェミニズムを見出したのかマジで全然わかりません。と、言うとなんだか非難しているようですが、別に非難しているわけではなく、むしろフェミニズムへのよくある偏見をここまでホラーとして昇華してて一周回ってなんかもう面白いな・・・と思った。

 

物語をざっくり言うとこんな感じ。
1977年のベルリンが舞台で、ダンスの才能溢れる女の子(スージー)がドイツにやってきて「マルコス・ダンス・カンパニー」と言う舞踏団に参加します。スージーは憧れていたダンサー達に囲まれて胸をときめかせているものの、その舞踏団を牛耳っているのは実のところ恐ろしい魔女達だったのです。魔女に支配された舞踏(コンテンポラリー・ダンス)は美しくも野蛮で恐ろしく、その舞踏は目に見える部分では迫力ある芸術だけど地下では同時に人を信じられないほど残酷に殺してしまう。そういう話。

 

 

・子宮/中絶/フェミニズム

重要なのは、ドイツ赤軍という極左テロ組織による時事的な事柄と、魔術に支配された舞踏団の恐ろしさがパラレルになっていること、また舞踏団のトップであるマダム・ブランが「フェミニスト」として描かれていることです。


スージーが舞踏団にやってきたとき、最初にできた友達のサラは「戦争中も彼女が舞踏団を守ってくれた」と言います。国が女に子宮の提供を求めた時、彼女が盾になり守ってくれたからこそわたしの子宮は空っぽなんだ、と。マダム・ブランが「フェミニスト」であることを物語の序盤で端的に説明するものとして、「子宮」が出てくるのです。

 

戦争によって女性が「国母」、子供を産みその子供を兵隊として国に提供する役割を担わされたことは言うまでもありません。ですから、マダム・ブランのこのエピソードは、国家による女性の生殖能力のコントロールに対抗しているため、フェミニスト・エピソードとしてもちろん寿がれるべきものではあります。それ自体は問題ないのです。

 

ですが同時に、フェミニスト=女性の「母性」を否定する存在、という戯画的なイメージが繰り返しアンチ・フェミニズム言説として蔓延してきたことも確かです。

 

そして女性の身体、生殖能力に対する自己決定権を擁護するフェミニズムの歴史にとって非常に重要な要素のひとつは「中絶の権利」です。アンチ・フェミニズム言説においては、フェミニスト=中絶という「殺人」を推進する立場、ということで非常に強い敵意を巻き起こしてきた問題でもあります。

 

で、まあわたしはそういう前提のもと『サスペリア』を観ているので、結構うっわ〜〜〜と思うところが多かった。何よりもまず、魔女の呪わしい舞踏と魔女達が犠牲者に向ける編み針のようなものを見て、うっわ〜〜〜と思いました。

 

さて、『サスペリア』の中で最も恐ろしいシーンは、主人公スージーのダンスがオルガという少女を殺してしまうシーンです。
物語の序盤で、オルガという少女が舞踏団のトップに狂ったように怒りをぶつけます。先に姿を消したパトリシアという少女について、オルガは「パトリシアはどこへ行ったのか」「パトリシアはあなた達を嫌っていた」「この偽善者め」といったことをマダム・ブランに向けて言います。そしてオルガは泣きながら飛び出す。出て行ってやる、というのです。けれどもオルガは出ていくことができません。涙が止まらなくなり、錯乱したままダンスフロアのような場所に入って行き、出られなくなってしまいます。


そしてパトリシアは「舞踏団のトップであるマダム・ブランにより何やら魔術を宿されたらしいスージーが踊ると、彼女の踊りと合わせて地下のオルガの体がありえない方向にひん曲がります。オルガの意志に反して、彼女は関節とか骨とか何もかもがめちゃくちゃになるようなグロテスクで残虐極まりないダンスを踊らされてしまうのです。


文字通り体がぐちゃぐちゃになったオルガを、舞踏団の魔女達は取り囲みます。そして編み針のようなもので、ダンスによってめちゃくちゃになった彼女を突き刺し、さらに苦しめる。重要なことですが、編み針は手や頭だけでなく性器とおもわしき部分にも向けられます。

 

サスペリア』の中で最も恐ろしいこのシーンを見て、わたしが思ったのは「これは中絶のメタファーじゃないか」ということです。編み針は実際に中絶が違法な場所で中絶の道具として使われたものでもあり、あの道具の形状と苦しむ女性を見ていると、(まああくまでわたしは、ということですが)それを連想せざるをえませんでした。

 

フェミニスト」とされるおぞましい魔女達にはむかった報いとして、魔女達が彼女の身体の自由を奪い編み針のようなものを突き刺す、というシーンは、あたかも中絶のメタファーのようであり、「フェミニスト=中絶の権利の擁護者」のあまりに邪悪な表象に思えます。

 

何よりおぞましいのは、フェミニスト(とされる)女性達が、彼女達を「偽善者」と呼びその集団からの離脱を望んだ女性を攻撃する、という構図です。
フェミニズム教条主義(ここでは「中絶の権利」のあまりに極端かつ歪められた推進でも想定されているのかな)がフェミニストではない女性を非常に厳しく抑圧する、という構図をびっくりするほど恐ろしいホラーとして描いているわけで、突き抜けたアンチ・フェミニズム感になんかもう一周回ってすっげえな〜としか思えませんでした。いや〜すごい。

 

ところで物語で最もおぞましいシーンはオルガのシーンなのですが、ラスト周辺の、地下に魔女達が大集合しているスプラッタシーンも十分におぞましい。(若干やりすぎてダサいかなと思いましたが)ここでも編み針のような道具が出てきます。そしてこの道具はサラという少女の腹を切り裂きます。

おぞましい「魔女」はラストが近づくにつれ「母」なる存在へスライドされる。クライマックスにおいて主人公は「母」を殺しまくる。同時に少女の腹が切り裂かれる。物語は母子間で起こる「殺人」の象徴をふんだんに用いて「母子」の対決を演出します。

ラストのてんこ盛りスプラッタシーンにおいてこの道具が果たした役割を見て、わたしはア〜やっぱりそのメタファーだったんだな〜とか思ってました。

 

 


・魔女/フェミニズム

しかし何はともあれ恐ろしいフェミニストを「恐ろしい魔女」として描き、その呪われた力の残虐さを描くところがすごいですよね。中世に多くの女性が殺されたいわゆる「魔女狩り」は女性に対するヘイトクライムだった、という見方、またそれを踏まえたフェミニズム運動における魔女のモチーフは有名です。「私たちはあなたたちが火炙りにしそこねた魔女の孫娘」というスローガンもありますね*2

あえてやってるならものすごい悪意だな〜と思う。いや当然あえてやってるんでしょうが。なんかもうすごい。本当にすごい。

 

 


極左テロリズムフェミニズム

 グァダニーノ版『サスペリア』における「邪悪」なフェミニズム表象は、こちらは結構単純だなと思ったのですが、フェミニズム極左テロリズムと重ねられていることです。
先に述べましたが、物語は1977年ベルリンを舞台にしており、ドイツ赤軍の時事的事柄と舞踏団の物語がパラレルに重ねられています。

ドイツ赤軍のテロリスト達3名の死亡のニュースを背景に、舞踏団における「3人の母」の話がなされるシーンがあり、まあ言いたいことは明白です。要するに舞踏団=フェミニズム極左テロリズムと同様、「正しい」ことを言っているようだが過激で危険で暴力的な集団なのだ、と。アンチ・フェミニズム言説の定番ですね。いやまあどんな集団も暴走し暴力に走ることはあるので別に全く間違っているとも思わないけど、死ぬほど使い古された言説であることも確かであり、これはちょっとあまりに単純だなと思った。

 

 


・ぐちゃぐちゃにはされないが笑われる男性

 ありえないくらい邪悪に「フェミニズム」を表象するこの映画ですが、ただアンチ定番言説「男性に対する攻撃としてのフェミニズム」の要素は出てきません。
これほどフェミニズムを邪悪に描くなら、「男性嫌悪/男性差別フェミニズム」というアンチ言説の定番に則り、ヤバイ魔女のフェミニスト達が善良な男性達の全身をあらゆる方向にひん曲げる様を描いてもいいんじゃないかと思いますが、しかし『サスペリア』では男性はひん曲げられません。ひん曲げられてぐちゃぐちゃにされるのは女性だけであり、男性はぐちゃぐちゃにならない代わりに笑われます。

 

最初に姿を消した女性(パトリシア)を診ていた精神科医ヨセフ・クレンペラーの訴えにより、舞踏団に警察の疑いの目が向く場面があります。そこでおじさん刑事が舞踏団にやってくるのですが、彼らは舞踏団の魔女を逮捕できないばかりか、魔女達に捕らえられてしまいます。魔女達が笑いながらおじさん刑事を取り囲み、あの編み針のような道具でつついているシーン。そこでおじさん刑事はズボンを脱がされ、性器を丸出しにさせられ、魔女達は彼の性器を指してけたたましい笑い声をあげています。

それは言うまでもなくおじさん刑事にとってこの上ない屈辱を与えるものであり、暴力に他ならないのですが、しかし物語において男性はぐちゃぐちゃにはされないのです。

 

男性と女性の非対称性を言う時、最悪の場合、女性は男性に「殺される」可能性を考えるが、男性が女性に想定するのは「笑われる」可能性である、といった風に表現されることがあります。よくあるこの手の話をなぞるように、グァダニーノ版『サスペリア』のなかで女性は殺されるが男性は笑われます(ここでは女性を殺すのも女性ですが)。
いや笑われるのも最悪だし被害を比較して片方を軽く見せるのはよろしくないのですが、とはいえまあ、事実としてぐちゃぐちゃにはされていません。

 

なので性器を笑われる男性のシーンを見ていて、なるほど、とわたしは思っていました。
男性の(それこそ精神分析的にありえないほど重要な)性器を笑いモノにする魔女達(フェミニスト)を描いて邪悪に表象しつつ、とはいえ男性は全身ぐちゃぐちゃにはせずに済ませておくんだな、なるほどね〜という感じ。

 

 


精神分析/ヒステリー/フェミニズム

 ところで『サスペリア』における魔女達の影響のためか否か体をがくがく震えさせ発狂しているかのような様相を取る人々の描写は、いわゆる「ヒステリー」(神経症)を思わせるものですが、フェミニズム史にとってヒステリー(神経症)はとても重要です*3
ざっくり言うと精神的病やそれをめぐる言説(たとえば精神分析)は抑圧の手段、抑圧の正当化として用いられてきた経緯があり、なかでも19世紀の女性にとりわけ多かったヒステリー(神経症)はフェミニズムで盛んに論じられてきました*4

 

男性の精神分析医による女性の患者への一方的な診断、偏見に満ちた分析、それ自体が抑圧に他ならないことはまあ死ぬほど繰り返されてきた定番のフェミニズムにおける精神分析批判なのですが、そういうことを踏まえると、「男性の精神分析医」の表象には色々気をつかうところがあるかなと思います。

が、『サスペリア』にはヨセフ・クレンペラーという男性の精神分析医が出てきていますが、その描き方を観る限りその辺全く踏まえてないのかな〜と思いました。ていうかあえてやってるのかな。

 

この物語のなかでヨセフ・クレンペラーという男性の精神分析医は、批判的どころか非常に良く描かれています。なにしろ舞踏団の魔女達(フェミニスト)の恐ろしい魔術の犠牲になった少女(パトリシア)を探し、まあ勝ちはしないものの立ち向かうのがヨセフ・クレンペラーであり、むしろ男性の精神分析医は全く邪悪な部分のない善良な人間として描かれている。

 

しかも『サスペリア』において男性はぐちゃぐちゃにされないし、このヨセフ・クレンペラーは「悪い魔女」を倒した「善い魔女」であるスージーによって救われるんですよね。ラスト、スージーは彼に謝罪するのです。あなたに悪いことをした、それを止められなくて申し訳なかった、的なことを言い、彼の苦しみを取り除いてやります。


いや人間をぐちゃぐちゃにするのは良くないのですが、それでも「善い魔女」は男性に優しいんですね、男性に優しいのが「善い魔女」なんですね、そうですか・・・という気分になっちゃった。

 

ついでに言うと、最後の方で彼が離れ離れになった妻と書いたと思われる相合傘的なハートマークが「愛」「救い」のようにちらっと映るシーン観て、そうですか・・・感が増しました。婚姻制度、善良な男女のつがい、異性愛、そういうのが恐ろしい魔女達との対峙の果てにパッと映るんだよな。いやはや。

 

まあなにはともあれ、あたかもヒステリーを連想させる描写を重ねておいて、「男性の精神分析医」を「魔女(フェミニスト)に立ち向かう善良な人間」として描くというのは、フェミニズム史を知った上であえてやっているなら結構すっげえな、という感じ。知らずにやってるならフーンて感じですが、知った上でやってるならものすごい悪意だなと思った。

 

 

 

・終わりに

というわけで、グァダニーノ版『サスペリア』、個人的にはフェミニズム映画どころか今までわたしが観た映画の中でも屈指のアンチ・フェミニズム映画でした。
徹底されすぎて逆に感動してしまった。というかある程度ちゃんと勉強したのかなとか思った。いろんな意味ですごいね。

 

個人的に好きか嫌いかで言うと、好きと言うのは流石にちょっとアレだけどでも全然嫌いじゃないです。え〜?!こんな長文書いといて?!って感じだけど本当です。後半はちょっとB級っぽいなと思ってダレちゃったけど。

 

でも全てを差し置いても、とにかくマダム・ブランとスージーの百合が大変好きだったのと、どうであれ強大な力を持つ邪悪な魔女達が画面にいっぱいいるの最高だった。強くて暴力的な女性って、たとえば子供を守るためや復讐のためやマッド・マックス怒りのデスロードのような家父長制への対抗などとにかく「正当な理由」が付されることが多いと思うのですが、サスペリアの魔女達の強さと邪悪さには正当性がまるでなくてただ単に邪悪であり、純粋な邪悪さと暴力性が本当に良かった。マジで邪悪な女性達がたくさん出てくるの最高すぎる。邪悪な魔女と百合で死ぬほど加点せざるを得なかった。以上です。

*1:『サスペリア』は単なるリメイクではない。より深く再創造された新たな物語だ:映画レヴュー|WIRED.jp

『サスペリア(2018、リメイク版)』感想(ネタバレ)…再構築する意味とは? : シネマンドレイク:映画感想&レビュー

*2:魔女とフェミニズムに関しては、最近こんな愉快な記事も出ています。ちなみにNetflixで観れるフェミニズム・ドキュメンタリー(She's Beautiful When She's Angry)で、リアルに魔女の格好してデモしているフェミニストの姿も観れます。

*3:エリザベス・ライトの『フェミニズム精神分析事典』あたりを見てみてください。

*4:ちなみにNetflixで観ることのできる『またの名はグレイス』というドラマシリーズは、物語の完成度は言わずもがな、フェミニズム精神分析の歴史を踏まえた本当に素晴らしいものです。精神の病と女性の抑圧については、アンジェリーナ・ジョリー主演の『チェンジリング』という映画でもテーマになっています。