「愛」の語り口

 同性間のつよい絆が描かれた作品に対して、「これはゲイ/レズビアンなんかじゃない、愛なんです」と言いたがる層、けっこういて、いつも嫌な気分になる。

 たとえば、「決してLGBTや同性愛がテーマなのではなく、ある女性二人の純粋無垢なラブストーリー」みたいなやつです。サイアク。この話ほんとうに何度も何度もしていて、同じ話を何度もするのめっちゃいやなんだけど、「同性愛なんかじゃなくて、愛なの」みたいな言説の、くそみたいな差別意識が透けて見えるくせに『いいこと言ってる感』の浅薄傲慢さに心底うんざりなんだよな〜〜この手の文言に腹をたてることが多すぎて、『愛』関連言説を見るともはや構えてしまうね。

 て言ってもなにがサイアクなのかわかんないひとってたぶんたくさんいて(だから繰り返されるんだろうし)、それはおおむねふたつのパターンに分けられる気がしています。

 

①褒め言葉として言ってるパターン

 まずはじめに、褒め言葉として言ってるパターンがあります。冒頭で挙げた「決してLGBTや同性愛がテーマなのではなく、ある女性二人の純粋無垢なラブストーリー」と言った人は、これ多分褒め言葉として言ってるんですよね。「ある女性二人の純粋無垢なラブストーリー」って、賞賛の意味をこめてるつもりなんだと思います。サイアク。

 これは単純な国語の問題なんですけど、「決してLGBTや同性愛がテーマなのではなく」という言葉の後に「純粋無垢なラブストーリー」ときているので、「LGBTや同性愛」が「純粋無垢なラブストーリー」と相反するものだという意味を持った一文ですよね。すごくわかりやすい例だけど、こういう意識の人ってけっこう多くて、「同性愛ではなく愛の物語」と言う時に結局「同性愛”なんか”ではなく」って意味なんじゃん? ておもいます。サイアク。いちばん論外なパターン。

 

 て、簡単に言ったけれども、ほんとうはもうちょっとフクザツな話かもしれません。だって同じような言い方でも、文脈によっていろんな意味があるから。

 たとえば、「同性愛ではなく愛の物語」という言葉をほんとうにポジティブな意味で発する場合だって当然あります。『「ふつう」の異性愛と違う「同性愛」』というように、特殊なもの、異質なものとして切り分けようとする人、いっぱいいます。そういう人たちに、いや違うでしょ、愛は愛でしょ、って言うのは大事だし、間違ってないし、なにも責められるべきことではない。

 でも同じような言葉でも、その切り分けに対抗しようとして発せられる「愛は愛」と、上に挙げた例ってぜんぜん違うものです。言葉はそれが発せられる文脈によってぜんぜん違う意味になるので、私は主張の中身はもちろんのこと、「どういう状況で誰によって言われたものか」もとても重要なことだと思っています。

 そこがすごく厄介な部分だなと思います。「愛は愛」って、なんだか正しい気がするし、いいこと言ってる気がする。

 けれども、「排除」の仕方って『「別物」として排除しようとする』だけじゃないと思います。

 『「同じ」にされてしまう』ことも「排除」のひとつだなって。世の中の人々はとにかく差異(とそれにまつやる差別)から目を背けてフワッと誤魔化すのがダイスキだな〜〜って。結局、「女性二人の純粋無垢なラブストーリー」みたいな言い方も、「女性同士の恋愛」を尊重しているのではなくて、なんとなく「綺麗」なイメージだけでごまかしてるわけですよね。女性同士の恋愛、「同性愛」を「見えないもの」にする誤魔化しだとおもう。でもこういうこと言ってる人は自分のそういうとこに気づいてなくて、「なんとなく正しい、いいことっぽい」ことを言って「良い人」みたいな顔をしがちで、ほんとうにサイアクだな〜〜〜〜と思います。

 

②「既存のカテゴリー」に対する反発、っていうパターン

 百合界隈、BL界隈でよく見かけるパターンだなと思います。それは「レズビアン」「ゲイ」といったカテゴリーや、「恋愛」というカテゴリーに対する反発が多く含まれている気がします。じぶんの好きなキャラクターを「同性愛者」って言わないで、みたいなの超絶見かけるけど、すごくホモフォビアだなあとおもう、はやくこの手の言説が無くなって欲しい。。

 

 「恋愛」ではなくて、というタイプの反発については、『既存のカテゴリーにあてはまらない親密性』なんだと言いたいんだろうけど、同性間にだけそういうの求めるのやめてよ ておもいます。 

 『既存のカテゴリーにあてはまらない親密性』はわたしもめちゃくちゃ求めてるしめちゃわかる。でもそういうこと言うひとが、同じ作品内のヘテロカップルにはなんも文句言わないくせに同性間の結びつきにだけ色々注文つけてるの見ると はあ???? ってなる。

 その人自身は意識していないかもしれないけど、結局前提として「異性愛は当たり前のもの」っていう考えがあるんじゃない? 「当たり前」からの逸脱を、異性愛には求めず同性愛に求めるのってそういうことじゃない? マジョリティの身勝手な理想化を押し付けてるでは? ておもいます。

 もちろん、BLや百合をすきな層には、「異性愛」がはらむ色んな縛りにうんざりしているひとが多いし、そういうひとが「異性愛ではできそうにない理想」を託しているんだろうなとおもうし、そうしたい気持ちはすごくわかるんだけど、でもな〜〜

 なんていうか、そういうひとは、もうちょっとじぶんの欲望にきちんと向き合ってほしいとおもう。じぶんが何を嫌だとおもっていて、何に対するカウンターや別の選択肢を求めているのかを突き詰めてほしいし、世の中のホモフォビアにもっと敏感になってほしい……

 どうして「既存のカテゴリーにあてはまらない親密性」をあなたは好むのか、何に苦しめられていて何から逃れようとしているのか、なぜゲイやレズビアンのはなしだと言われると嫌がるのか、そうして嫌がることで傷つくひとの存在になぜ思い当たらないのか、もっと分節化して欲しい。

 

 世の中のホモフォビアにいまいち気づいていない(気づかず問題なく日々を送れる)ひとびと、異性愛フィクションに比べて同性愛フィクションがどれほど圧倒的に少なく圧倒的に不均衡な状況があるか、それがどんな弊害をもたらしてるかわかってないとおもう。

 そういうわりと内省が足りないまま「ゲイとかレズビアンとかじゃなくて、もっと別の、そう、愛なんです」とか言ってるひとが、作品を同性愛フィクションとみなす見方に対して、「既存のカテゴリーにあてはめないで!」ってなってるのみるとまじで はあ??? ってかんじ。じぶんでは「より進歩的」で「より規範から自由」なほうを選んでるつもりなんだろうな〜〜ふ〜〜ん みたいなね……

 

 たぶんほんとうに理想的な世界では、上で挙げたふたつのパターンどちらもがなくて、みんな当たり前のように「愛」で、その前にはなんにもつけなくていいんだよね。そうしたら「愛」関連言説を見かけて身構えることもないし、いちいち腹をたてることもないし、こんな風に長々記事書く必要もなくて、じぶんがほんとうにすきな「関係性」に集中出来るんだとおもう。そういうのがいい。はやくなんでもありになってほしい。わたしだって心から「既存のカテゴリーにあてはまらない親密性」を求めてるし、恋愛とも友情とも分けられない女たちのつよい絆がすき、ってきもちを臆することなく表明したいわ 滅びろホモフォビア